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一般社団法人ジャパンケネルクラブ(JKC)の歴史
欧米の犬種がいつごろから日本に紹介されるようになったのかは明らかではありませんが、16世紀末の安土桃山時代(1573〜1598年)に多くの犬種が戦国大名の権力の象徴として入手されたという記録が残されています。しかし、1603年に成立した時の政府である江戸幕府の鎖国政策(1635〜1854年)は、長い間欧米の犬種を一般の人々の目にふれる機会を奪うこととなりました。
19世紀半ば、近代国家の出発点ともいうべき明治維新(1868年)以降、猟犬や一部の愛玩犬が輸入されるようになりましたが、当時は一部の富裕階級の趣味の対象にとどまり、一般庶民に普及するには至りませんでした。
その後、第1次世界大戦(1914〜1918年)後、ジャーマン・シェパード・ドッグの軍用犬、警察犬などの活躍により犬の有用性が強く認識されるようになり、同時に日本文化を見直すという運動の一環として日本原産犬種の保存が真剣に考えられ、純粋犬種の血統を記録すべくいくつかの単犬種団体が設立されるようになりました。
しかし1939年(昭和14年)に勃発した第2次世界大戦は、我が国のあらゆる生活環境に打撃を与え、愛犬家にとっても苦難の時代となりました。1945年(昭和20年)8月、ようやく終戦を迎えますが、不安定な社会情勢を一変するまでには至りませんでした。
戦後間もないこの時代、多くの国民は価値観の急激な転換により一様に大きな不安を抱えておりました。その結果として、家族や財産を守る番犬として、ジャーマン・シェパード・ドッグや日本犬が主に飼育されていましたが、駐留軍の家族がその一員として連れてきた洋犬種も次第に日本の家庭に紹介されるようになりました。この間、現実に純粋犬種が繁殖されても、この血統を証明し、登録する公の犬種団体がなかったため、私製の血統書が横行するなど、犬の健全な繁殖にとってたいへん不幸な状態が続いていました。
このため、戦後の民主改革とともに人々がようやく新しい時代に向かっていることを実感できるようになった1948年(昭和23年)、初代理事長となる坂本保東京都畜犬商業組合組合長をはじめとする有志により全犬種団体「全日本警備犬協会」の設立が図られました。協会は翌1949年(昭和24年)農林大臣から設立を許可され、JKCの歴史がスタートしました。1950年(昭和25年)11月 3日上野公園で開催された第1回本部展覧会は、戦後間もない時期にもかかわらず、全国から約300頭の犬が参加しました。1952年(昭和27年)、ジャパン・ケンネル・クラブ(JKC)の名称を採用。以来50有余年にわたって我が国に有能な純粋犬の繁殖が定着し、人と犬との共生の時代の実現を念願し、ドッグショーの開催や会報の発行等を通じて、全国の愛犬家の方々へ、さまざまな啓蒙・普及活動を行ってまいりました。
1950年代半ば(昭和30年頃)になると、国民の生活が向上するに伴い、犬の飼育者が増加し、また欧米より有能な種牡、台牝が輸入されるようになり、その結果会員も登録数も飛躍的に増加しました。
1963年(昭和38年)、他の犬種団体とともに日本畜犬連盟を結成し、国際畜犬連盟(FCI)の準会員となり、国際的な第一歩を踏み出すこととなりました。この前後には、本会のドッグショーに米英の審査員を招聘するなど、我が国の犬種の向上と審査技術の向上にも努力を重ねました。
1971年(昭和46年)、増加の一途を辿る登録事務の手続きの効率化をはかるとともに、会員の研修の場を提供するために、本部事務局を東京都千代田区神田(現在地)に移転、JKC会館を開館しました。翌年にはアジア主要国と提携し、アジア畜犬連盟(AKU)を結成し、会長国に就任。このことにより、アジア犬界との親善の促進、相互のレベルアップが図られ、本会審査員がアジア諸国のドッグショーに招聘されるようになりました。
1976年(昭和51年)、会名をジャパン ケンネル クラブと改称し、名実ともに日本を代表するケネルクラブとして、3代目芟薮豊作理事長のもと、新しい時代に対応する近代的な組織の充実に向けてさまざまな活動が開始されました。1978年(昭和53年)にメキシコで開催されたFCIワールドショーに招聘された本会審査員が世界各国から高い評価を受け、このことによりアメリカ、イギリス、オーストラリアなどの犬界との審査員交流が活発化しました。翌1979 年(昭和54年)には、念願であったFCIへの単独加盟を果たし、以後FCIワールドショーへ役員と審査員を大挙研修のため派遣するなど、国際的なレベルの向上に向けて、ヨーロッパを中心に国際交流を深めていきました。
1982年(昭和57年)は、本会にとって記念すべき年になりました。3月には、9階建ての総合畜犬会館が竣工、事務局OA化の第一歩を踏み出しました。 4月にはアジアにおける最初のFCI東京ワールドショーが、世界犬界注視のうちに東京で開催され、本会の組織力と機動力が高く評価され、また、日本に愛犬思想が定着していることを世界に強く印象づけました。
1987年(昭和62年)には血統証明書等すべての証明書がコンピュータ処理による発行となりました。翌1988年(昭和63年)には創立40周年を迎え、多彩な事業を展開しました。
1991年(平成3年)には地震多発国であるわが国の現状に鑑み、災害救助犬の育成を開始、また、ハンドリングとトリミング競技大会の優勝者の海外研修派遣、IPO訓練選手権、アジリティー競技大会、ジュニアハンドリングコンペティション優勝者の世界大会への派遣など、国際親善と技術修得に意欲的に取り組んでまいりました。
これらの事業の推進により、1992年(平成4年)にはアメリカンケネルクラブ(AKC)及びカナディアンケネルクラブ(CKC)との犬籍登録相互承認を実現、本会の国際化に弾みをかけることになりました。
1994年(平成6年)に就任した4代目経徳禮文理事長は、このような積極的な運営方針を引き継ぎ、本会の規模は拡大の一途を辿りました。
1999年(平成11年)に本会は創立50周年を迎え、これを祝う事業を各地で開催した他、9月には記念式典を挙行し、これにあわせて21世紀に向けての新たな歴史作りを目指して、会名を社団法人ジャパンケネルクラブと改称いたしました。 この直後に台湾で発生した大地震に5頭の災害救助犬をいち早く派遣し、被災者の捜索にあたりました。
2000年(平成12年)に就任した5代目星三光理事長により、更なる組織の強化と事業の拡大が図られ、2001年には、BH(ベーハー・同伴犬訓練試験)実施開始、10月第1日曜日〜第2日曜日をJKC愛犬週間と制定し、一層の国民の動物愛護精神の啓蒙に努めました。
2004年(平成16年)には、6代目理事長に永村武美理事長が就任し、創立55周年を記念し、全国の政令指定都市及び東京都特別区等にある高齢者福祉施設に介護車輌を寄贈するなど社会福祉への貢献に努めました。
2007年から2015年には「LIVING TOGETHER 人と犬の共生」をテーマに、総合ドッグイベント「ジャパンドッグフェスティバル」を開催したほか、「動物の愛護及び管理に関する法律」に対応した「JKC愛犬飼育管理士」資格制度を創設するなど、動物愛護精神を高揚させるためのさまざまな活動に取り組みました。
また、2008年の岩手宮城内陸地震、2011年・東日本大震災、2016年・熊本地震では、本会災害救助犬を出動させ、被災者捜索にあたりました。
2016年(平成28年)には、7代目理事長に別所 訓理事長が就任し、日本の愛犬家と日本に暮らす多くの犬たちのための活動を続けております。