10G:視覚ハウンド

サイトハウンド
SIGHTHOUNDS
優れた視覚と走力で獲物を追跡捕獲する犬

アイリッシュ・ウルフハウンド

- IRISH WOLFHOUND

スタンダードNo:160

原産地:アイルランド

用途 :17世紀末まで、アイリッシュ・ウルフハウンドはアイルランドの狼や鹿の狩猟に用いられてきた。又、森が伐採される以前に、ヨーロッパの広域にはびこっていた狼を狩猟するために用いられていた。

沿革 :アイルランドのケルト人は、大きなハウンドを繁殖することに興味を抱いていた。これらの大きなアイルランドのハウンドは、スムース・コートやラフ・コートであったが、やがてアイルランドの気候の影響もありラフ・コートが優勢になった。アイルランドのハウンドは間違いなく、スコットランドのディアハウンドの基礎となっている。アイルランドのハウンドのつがいは、贈り物として中世から17世紀にかけてヨーロッパやスカンジナビアなどの王室に珍重された。これらはイギリスやスペイン、フランス、スウェーデン、デンマーク、ペルシア、インド、ポーランドなどに送られた。15世紀には、アイルランドの各地域では、農夫の家畜の群れを狼の襲撃から守るため、24頭のウルフドッグを飼育することが要求された。1652年のクロムウェルのウルフハウンドの輸出禁止令により、一時的にこの犬種の頭数を維持することができたが、狼が次第にいなくなり、また海外からの絶え間ない要求により、17世紀末にはほぼ絶滅というところまで減少した。
この犬種の再興は、19世紀後半、アイルランドのナショナリズムの高まりとともに興り、G.A.グラハム大尉がアイルランドにわずかに残っていたウルフハウンド・タイプのハウンドを何頭か獲得することに着手した。そして、ディアハウンドの血を入れたり、時には、ボルゾイやグレート・デーンを交雑させることにより、何代にも渡って同じタイプの犬を繁殖できるようになり、アイリッシュ・ケネル・クラブは1879年4月のショーでアイリッシュ・ウルフハウンドのクラスを設け、1885年にはクラブを設立した。ウルフハウンドは今も尚、中世の名声を保っている。

アザワク

- AZAWAKH

スタンダードNo:307

原産地:マリ共和国及びニジェールの北部国境。アザワク渓谷の山腹 / 後援国 フランス

用途 :獲物(ガゼル、野ウサギ、ダチョウ)を狩り、捕食動物(ハイエナ、ジャッカル、ライオン)を撃退するサイトハウンドである。この犬種は遊牧民の家族生活にとって重要なコンパニオンであり、キャンプ・ライフを共にしている。

沿革 :何千年も前にサハラ砂漠中央の壁画に描かれていたタイプに由来するアフリカン・サイトハウンドの子孫である。サハラ砂漠の乾燥化のため、Tuareg人、Dahoussahaq人、Peul人 のようなシェパード・ハンターたちは、より過ごし易く農業や狩りに適したアザワク渓谷に沿ったサヘルの土地に犬たちと共に移り住んだ。家畜文化を持つ人々に属することを、トゥアレグ語では「Oska」という。この犬種を称賛したヨーロッパの愛好家は、1968年にヨーロッパに最初の血統を輸入したブリーダーを中心に犬を選別し、広めていった。

アフガン・ハウンド

- AFGHAN HOUND

スタンダードNo:228

原産地:アフガニスタン

用途 :サイトハウンド

沿革 :最初となるアフガン・ハウンドがイギリスに到着したのは1900年初旬である。そのうち の1頭である「Zardin」という名の犬は、その華々しいスタイルによってロンドンで開催された1907年クリスタル・パレス・ショーを魅了した。この犬種はロシア犬種であるTaziと類似していることから、Taziとしても知られている。世界中のサイトハウンドの中でも典型的な犬種であるアフガンは、その名が示す通り、アフガニスタンの山で生まれた狩猟犬で、機会を与えられれば獲物を追う。現在でも長いシルキーな被毛を持ち、東洋的な表情を伴う力強さと威厳の両方を持ち合せなければならないグラマラスなショー・ドッグである。

イタリアン・グレーハウンド

- ITALIAN GREYHOUND

スタンダードNo:200

原産地:イタリア

用途 :レーシング・ドッグ

沿革 :小型のイタリアン・グレーハウンドは、古代エジプトでファラオの宮廷に既に存在していた小型の グレーハウンドの末裔である。たくさんの花瓶や器の絵からこの犬種が、ラコニア(ギリシア)を通り、紀元前5世紀初期にイタリアに渡ってきたことが分かる。この犬種が最も発展したのはルネッサンス時代の貴族の宮廷である。イタリアン・グレーハウンドの絵が偉大なイタリアの巨匠や外国の巨匠の描いた絵画の中に出てくるのは珍しくないことである。

ウィペット

- WHIPPET

スタンダードNo:162

原産地:イギリス

用途 :臭跡或いは視覚による狩猟のために用いられていた犬種

沿革 :19世紀後半、小型のグレーハウンドにマンチ ェスター・テリア、ベドリントン・テリア、ホワイト・テリアなどの混血によって作出された。
最初スナップ・ドッグと呼ばれたが、おそらくウサギやネズミを殺す際の噛む力が強いことと関係があるらしい。
英国のダーハムやニューカッスルなどの鉱山地帯で競争犬として使用されたが、グレーハウンドのレースが一般化したことやショー・ドッグとしての良さが見直され、以前ほどレースでは活躍していない。
走る姿勢が馬を鞭打って駆けるように見えることからウィペット(鞭犬)と名付けられたといわれている。

グレーハウンド

- GREYHOUND

スタンダードNo:158

原産地:イギリス

用途 :サイトハウンド

沿革 :一致した意見ではないが、専門家たちはグレーハウンドの起源は中東にあるのではないかと考える。グレーハウンドのようなタイプの犬の絵が紀元前4000年の古代エジプトの墓壁で発見されている。このタイプの犬は長年をかけてヨーロッパ中に広まったが、標準化されたのはイギリスに於いてである。サイトハウンド、またはゲイズハウンドと呼ばれる犬種の原型であるグレーハウンドは、多くの人々によく知られている。生きた野うさぎを狩るコーシング・ハウンドからレース用のグレーハウンドが発展していき、スピードではチーターのみがグレーハウンドを上回る。レース用のグレーハウンドの中には45mph(マイル/時)超を記録したものもいる。

スパニッシュ・グレーハウンド

- SPANISH GREYHOUND

スタンダードNo:285

原産地:スペイン

用途 :ノウサギ猟用の犬で、目で獲物を追って、すごいスピードで追いかける。ウサギやキツネ、イノシシなどの毛皮用の獲物も捕らえることができ、かつてはこれらの猟にも用いられていたが、この犬種の原始的な用途は、昔も今もノウサギ猟である。

沿革 :古代アジアン・グレーハウンドの子孫であるこの犬種はローマ人に知られるより以前にイベリア半島に存在していた。この犬種の多くが、16世紀以降、アイルランドやイギリスに輸出され、イングリッシュ・グレーハウンドの祖先の一つとなった。古い書籍に引用されている「逃げるノウサギは、すぐにグレーハウンドに追いつかれる」は、この犬種の主要且つ古代からの機能をよく言い表している。

サルーキ

- SALUKI

スタンダードNo:269

原産地:中東/FCI後援

用途 :サイトハウンド

沿革 :サルーキはタイプに幅があり、そのバリエーションはこの犬種にとっては好ましく、典型的なものである。バリエーションが生まれた理由は、サルーキがアラブの伝統の中で中東という広大な地域で何千年にも渡りハウンドとして狩猟に用いられたからである。元来、各々の種族はその地域の特別の獲物の狩猟に最も適したサルーキを所有していた。しかし、中東の伝統のためサルーキは売買はされず、名誉の象徴とされてきた。1923年に作成された英国のスタンダードは、この犬種のヨーロッパにおける最初の正式なスタンダードであり、元来の全てのタイプのサルーキの特徴を包括して作成された。

ディアハウンド

- DEERHOUND

スタンダードNo:164

原産地:イギリス

用途 :レーシング・ドッグ、ハンティング・ドッグ、コンパニオン

沿革 :サイト・ハウンド(視覚型獣猟犬)の一種で、スコットランドのハイランド地方に古くからいた大型獣向きのハウンドである。当然のことながら巨大な体躯をもっているが、その割には優雅な体形をしており、古来から王侯貴族に愛されてきた。アイリッシュ・ウルフハウンドと非常によく似ており、古代のウルフハウンドから分派して鹿猟に適したタイプに改良されたと考えられている。騎士道時代(10~14世紀)は、伯爵以上でなければこの犬を飼うことができず、庶民に縁の遠い犬だった。値段も高く、死刑を宣告された貴族が、執行猶予を買い求めるのと三頭一組のディアハウンドの値段がほぼ同じだったほどである。
19世紀末になるとスコットランドの開発が進み、鹿の減少にともない急激に人気が離散し、一時は絶滅の危機に瀕したが、1948年チャンピオン犬が現れ、 人気は回復の方向にある。近年はアメリカや北欧でも飼育者が増えショー・ドッグとして活躍している。

ボルゾイ

- BORZOI

スタンダードNo:193

原産地:ロシア

用途 :ハンティング・サイトハウンド、レーシング・ハウンド及びコーシング・ハウンド。
ボルゾイは狼狩りよりも主に野ウサギやキツネを追うために用いられるハンティング・サイトハウンドである。高い敏捷性と持久力を兼ね備え、獲物を瞬時に手際よく捕まえる能力を持つ。コーシング及びレーシングにもよく用いられる。

沿革 :ボルゾイの歴史は15世紀のモンゴル侵略に遡る。タタール人はアラブ原産の「Koutsi」というサイトハウンドを用いていた一方、ロシアの猟師はサイトハウンドを持たず、狩猟時には鹿やヘラジカさえも捕獲し、仕留めてしまうことができた桁外れの強さを持つ「Loshaya 犬」を用いていた。
「Koutsi」及び「Loshaya」の異種交配犬がボルゾイの原型となった。それらの犬はヴァシーリー3世が所有する祈祷書にも描かれていた。16世紀から17世紀に亘り、ポリッシュ・グレーハウンドの新たな血統がそれらの子孫犬に気高さを加えた。それらの犬の名声はロシア帝国にまで及んだ。
この犬種の更なる発達は大型で、頑丈、且つどう猛な 髭のある「Courland Sighthound」である「Klock」との異種交配に影響された。それらの子孫犬は髭が無い、長毛で、細い毛の犬になった。それらの犬が「Gustopsovy」ボルゾイ・タイプの始まりとなった。
グレーハウンドの血統は同時にこの犬種へ「Chistopsovy」ボルゾイ・タイプの外見も追加した。その持久力で知られているマウンテン(ゴルスキー)・サイトハウンドと クリミア・ サイトハウンドの血統も後に使用された。
ボルゾイはこの複数の異種交配の結果である。獲物を追う際のボルゾイの用心深さ、敏捷性及び素早さ、また、閃光のように突撃し、獲物を瞬時に手際よく捕まえる能力、その荒々しさ及び勇気、それら全ての重要な性質は、不整地で獲物を迅速に捕獲する際に大変役立つことが証明されている。また、ボルゾイは長距離での作業が必要な大草原での狩猟にも首尾よく用いられた。
18世紀から19世紀には、サイトハウンドやハウンド及び特別な馬との「hunters」の群れで狩猟する姿が見られた。そのような狩猟ではタイプや作業能力が異なる数百頭もの犬で構成されていた。ニコライ・ニコラエビッチ大公による 「Pershino hunt」は、申し分ない犬の美しさと、そのスピードや獲物への情熱の特に有名である。
ボルゾイ愛好家の初めての会議は1874年に開催されたが、ようやくタイプが統一されたボルゾイの最初のスタンダードをモスクワ・ハンティング・ソサエティーが承認したのは1888年である。このスタンダードの作成者は N.P. Yermolov 氏である。スタンダードには20世紀及び21世紀の1925年、1939年、1951年、1963年、1969年、1980年、1993年、1995年、2006年に変更が加えられたが、その基本原則は変わっていない。

グループ(FCI10グループ)別

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